2022年6月5日 神を見失った人間の惨状 ローマ16:5~7

2022年6月5日 友の名をあげて祝福を ローマ16:5~7

キリストに献げられたアジアの初穂である、私の愛するエパイネトによろしく。
あなたがたのために非常に労苦したマリアによろしく。
私の同胞で私とともに投獄されたアンドロニコとユニアによろしく。
二人は使徒たちの間でよく知られており、また私より先にキリストにある者となりました。 ローマ書16章5~7節(16:1~16)
 今日の個所は、手紙の宛先、ローマに住むキリスト者たちが、いくつかの家に集まって礼拝し交わっていた
家の教会への結びの挨拶である。この記述から当時の教会の様子を伺える。
 《多くの友の名を挙げて》パウロは、フイべの外に26人の名を挙げ、「私の同労者、初穂、非常に労苦し
私とともに投獄された、私の愛する、主にあって選ばれた」等と、各自に相応しい表現を添えて、挨拶を送っている。
パウロは、多忙を極める宣教活動を展開しながらも、「私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝し・・・
あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り」(ピリピ1:3~4)
「祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝して」(エペソ1:16)、と信徒ひとりびとりの名を挙げて祈り続けた。
だからこそ、今、ローマいる兄弟たちの信仰の姿を思い浮かべながら、このような挨拶ができたのである。
またこの手紙がローマの教会で読まれ、次々と名前が挙げられた時、会衆一同も呼ばれた人に祝福を送ったことだろう。
 信仰者は、「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合」(12:10)うことが求められている。
私たちも、兄弟姉妹や隣人の名を挙げ、神の恵みが注がれるように祈り続ける者でありたい。
 《身分や人種性別を越えて》パウロがローマ教会に推薦しているフイべは、ケンクレヤ教会の奉仕者(執事、世話役)で
所用でローマに行こうとしていた。
パウロはこの重要な手紙を彼女に託したのは、彼女が教会で伝道者を補佐し、信徒たちを世話し、パウロをも支援していた
篤信の女性であったからだ。
彼女の外にも、プリスカ、マリア、ユニア、トリファイナ、トリフォサ、ユリアと女性の名が挙げられている。
プリスカはパウロを助けるためにいのちの危険を冒し、マリアは犠牲を惜しまず教会に仕え、ペルシャ出身の解放奴隷と
思われるペルシスは主を愛する故に教会のために大変な労苦を厭わなかったとある。
 ペルシス以外にも奴隷または解放奴隷と思われる名の者が9名もいる。
さらにアリストブロ、ヘロディオンなどは、ヘロデ王一族の出身と思われる。
ローマ教会には、ユダヤ人や異邦人、奴隷や王族と、民族、身分の異なる多種多様な人たちが、性別を問わずに教会に仕え
「主にあって一つ」の兄弟姉妹として、互いを認め尊敬し合い、神を賛美し交わりを共にしていたのである(ガラテヤ5:28)。
名の挙げられた者に共通することは、それぞれが懸命に犠牲を払って教会に仕えていたことである。
主の十字架を担いだシモンの息子(マルコ15:21)と彼の母(パウロにも母親のような婦人)が、今はローマの教会に
連なっているが、その経緯がどうであったのかなど、現代の私たちには興味あることだ。
 《主の摂理の中で》パウロは、この挨拶で「キリストにある、主にあって」(8、9、10、12、13節)と繰り返し記している。
彼らが今、ローマで教会に集い、懸命に労し仕えていることも、みな、「キリストの中で、キリストに導かれて
キリストの力によって、キリストに助けられて」のことだという意味である。
キリスト者は「キリストにあって」歩む者である。
 そして、「よろしく(挨拶する)」とは、「私はあなたを覚えており、あなたへの神の祝福を願っている」ことで
主イエスも命じられたこと(マタイ10:12)で、単なる社交辞令ではない。
パウロは、それを「あなたがたは聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。」(16節)と
祝福の挨拶をするように命じている。
「聖なる口づけ」は愛のしるし(Ⅰペテロ5:14)である。
私たちの教会でも、相手に、「主(神)の祝福がありますように。」と声をかけて挨拶を交わすことは
主の御心に適う、キリスト者らしい習慣と言えよう。

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