2022年6月19日 善にさとく、悪にうとく ローマ16:19

2202年6月19日 善にさとく、悪にうとく ローマ16:19

なお私が願うのは、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあることです。 ローマ16:19(17~23)

 《偽教師への警戒》
友の名を挙げて挨拶の言葉を送ったパウロは、コリントのパウロと一緒にいる者たちからの
挨拶を中断し、「あなたがたの学んだ教えに背いて、分裂とつまずきをもたらす者たちを警戒しなさい。
彼らから遠ざかりなさい。」(17節)と、厳しい警告を与えている。
和やかな雰囲気が一変するような言葉である。
パウロは、「すべてのキリストの教会が、あなたがたによろしくと言っています。」(16節)と記したが
今滞在しているコリント教会も含め、彼が関わった、少なくない教会に生じた分裂や混乱の問題を思い出したのであろう。
挨拶を中断して、偽教師への警告をここに入れたのである。
「学んだ教え」(17節)とは、初代教会で共有していた福音的な教えを指す。
しかし、偽教師たちは偽りの教えを語り、教会に「敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派」(ガラテヤ5:20)を
もたらし、信仰を破壊する「つまずき」を与えた。
「滑らかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだま」(18節)す彼らを
「警戒し、遠ざか」らなければならない。
滑らかな言葉は、耳に心地よく、容易に偽りに誘い込まれる。
警戒し距離を置かなければ危険極まりない。
彼らは、キリストではなく、「彼ら自身の欲望」を主と仰いで仕えている連中だという。
教会の平和が破壊されるのは、教会も愚かで利己的な人間の集まりだからではない。
たとえ問題が生じても、教会が福音に生きようと願うなら、神は人間の弱さや愚かさを克服して行く力と
助けとを与えてくださり、教会の平和は回復される。
しかし、教会が福音に背くなら、解決不可能な分裂、またつまづきを抱えることとなる。
キリストに仕えることよりも、「自分の欲望」を第一にする偽教師の教えに流され、教会の分裂を経験した
悲しみや寂しさを、パウロは幾度経験したことだろうか。
「欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たち」(ピリピ3:18)を
断じて遠ざけなければならない。
 《善にさとく悪にうとく》パウロは、信仰を「神への従順」と表現し、従順であることを
信仰者の大切な姿勢だと教えている(ローマ1:6、5:19、15:18,16:26)。
だから、ローマ教会の従順の噂を耳にして、「私はあなたがたのことを喜んでいます」(19節)と褒めている。
しかし、その従順という美徳は、欺かれやすいという危険をも含んでいる。
それでパウロは、偽教師たちへの警戒を促し、何が善で何が悪であるかを見分けた上で
善への従順を勧めている。
「あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあること(19節)とは、最善の知恵を働かせて
善を行なうことに努めよ、悪を行う知恵などは不要という意味である。
「悪知恵も少しは必要」等という意見は断固退け、「悪事においては幼子でありなさい。
けれども、考え方においては大人になりなさい。」(Ⅰコリント14:20)である。
偽教師たちのもっともらしい言葉に欺かれないように、大人の考えをせよと勧めている。
善とは、神のみ旨である。神が求めておられる平和の業、隣人に具体的に仕える働きに
私たちキリスト者は知恵を尽し機会を逃さずに取り組もう。
悪事には疎いままで良い。平和の神が、最後にサタンを踏み砕いて締めくくってくださるのだから(20節)。
 《兄弟たちからの挨拶》21節からは、パウロと共にいるコリントの兄弟たちや同労者からの挨拶を
再開している。
パウロの愛弟子のテモテ、アンテオケの教会でも一緒だったルキオ、テサロニケで家を解放して集会を
持ったために迫害されたヤソン、コリントで教会に家を提供していたガイオ
コリント市の重要職務の担当者で教会を助けていたエラスト、そしてこの手紙を筆記していた
テルティオ等の名が挙げられている。
彼らに共通することは、自分たちの生活をも神に委ねて、教会の設立と平和のために苦労して
人々であったという点である。
また、偉大な異邦人伝道者パウロは、このような多くの兄弟姉妹たちに助けられ、祈られ
励まされて、その働きを勧めることが可能となったことを教えられる。
今日の私たちにも当てはまる。共に、伝道の進展、教会の平和のために協力して行こう。

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