2022年7月3日 最初の教会の姿 使徒の働き2:41~42

202年7月3日 最初の教会の姿 使徒の働き2:41~42

彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。 使徒の働き2:41~42(37~47)


 《教会への入会条件》
 世界で最初の教会の姿がここに描かれている。
教会の構成員は、「彼のことばを受け入れた人々」(41節)である。ペテロの説教は、イエスを信じた者たちが
様々な他国の言葉で語っている理由を、イエスが復活され聖霊を注がれたからだと説明し(33節)
イエスがメシヤであることを奇跡や証しによって示されたにもかかわらず、ユダヤ人たちは彼を
十字架刑で殺したのだ((22、36節)と断罪するものであった。
ユダヤ人たちは「これを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたら
よいでしょうか』」(37節)と、指示を求めた。
「曲がった時代から救われ」(40節)、教会に入会する条件を、ペテロは「悔い改め」と「キリストの名による
バプテスマ」(38、41節)だと告げた。
「悔い改め」は、イエスに背を向けていた者が180度の方向転換をしてイエスを信じて従うことを意味し
旧約聖書では「(本来の状態に)帰る」ことを指す。
この内面の方向転換を具体的な形で表すことがバプテスマである。
バプテスマは全身を水に沈めて死と埋葬を象徴し、水から上がることで復活とキリストにある新しい人生への
出発を表現する。
この二つを満たした者は、罪の赦しと聖霊の賜物が与えられ(38節)、キリストの教会の加入し仲間となった。
 《教会員の生活》第一に、「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り」(42節)とあるように
聖書を学びその教えの実践に励んだ。
パウロも、「もし、この手紙に書いた私たちのことばに従わない者がいれば、そのような人には注意を払い
交際しないようにしなさい。」(Ⅱテサロニケ3:14)と勧め
聖書は「教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるため」(Ⅱテモテ3:16~17)だと述べている。
第二に、「交わりを持つ」ことである(42節)。
交わり(コイノニア)は、「共有」を意味する。
遠国からの巡礼者で路銀の尽きた仲間を助けるため、「財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて
皆に分配していた」(45節)。
但し、教会の交わりは、単なる物質的な共有生活ではない。
「毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美」(46~47節)
するという、主の晩餐と賛美という礼拝を共に奉げ、信仰の交流を続けるためのものであった(参考エペソ5:18~19)。
第三に、「パンを裂き、祈りをしていた」(42節)。
祈りや賛美は、毎日神殿に集まって心を一つにしてささげ、主の晩餐は家々に別れて行っていた(46節)。
礼拝と祈祷会を教会員一同が常に参加することは現代の私たちにも困難だが、当時も同様であっただろう。
しかし、彼らはそうせずにはおられない感激と喜びと必要があったのだろう。私たちもそのような思いに満たされたいものだ。
 《教会に対する周囲の評価》そのような教会の様子に対して、当時の周囲の人々の反応は
「すべての人に恐れが生じ」(43節)、「民全体から好意を持たれていた」(47節)とある。
「恐れと好意」という教会に対する当初の世間の評価は、「ほかの人たちはだれもあえて彼らの仲間に
加わろうとはしなかったが、民は彼らを尊敬していた。」(使徒5:13)とも表現されている。
好意と尊敬、あるいはあこがれさえも覚えるが、これまでの信仰や社会的な立場を捨てる覚悟までは出来ない。
世間はそのような注目と関心をもって、教会を遠巻きに眺めていた。
しかし、「主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった」(47節)という。
教会員が頑張ったというのではない。
彼らは、心を一つにして宮に集まって神を賛美し、喜びと真心をもって食事を共にしていただけである。
心底、神の御救いに感謝し、一切のものを共有するほどに教会員は愛し助け合っていた。
そこに主が新たな信仰の友を起こし、加えて下さったという。
教会の成長を決めるのは教会員ではなく、教会の主キリストである。
新たな信仰の友を加えて「一つにしてくださる」のは主である。
私たちも、当時の教会員に倣い、一切を主に委ね、礼拝と祈りと交わりとを、熱心に続けて行こう(黙示録3:15~19)。

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