2022年7月24日 私たちは主のからだの一肢体 Ⅰコリント12:12~14

2022年7月24日 私たちは主のからだの一肢体 Ⅰコリント12:12~14

ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように

キリストもそれと同様です。
私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて
一つのからだとなりました。
そして、みな一つの御霊を飲んだのです。実際、からだはただ一つの部分からではなく、多くの部分から成っています。
あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。 Ⅰコリント12:12~14(1~27)

《聖霊に導かれて》 主イエスは、最後の晩餐の後に、「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によって
お遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのこと
を思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)と約束された。
使徒パウロは、コリント教会の信徒たちに、「御霊の賜物については、私はあなたがたに知らずにいて
ほしくありません」(1節)とこの章の冒頭で述べ、第一の賜物を、「聖霊によるのでなければ
だれも『イエスは主です』と言うことはできません」(3節)と紹介している。
確かに、現代においても、人は、自分がキリストの十字架の贖いと復活の救いを信じたことを、他の人に
納得できるように説明することはできない。
キリストへの信仰、すなわち、自分が自分の人生の主ではなく、キリストこそが主であり、自分はこの方に
仕えるために生かされている。
この方に一生涯仕えようという信仰の決意は、聖霊からの賜物として与えられたのである。
第二の聖霊の賜物は、私たちが「キリストのからだ」と呼ばれる教会に加わるバプテスマを授けられたことである。
「ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました」(13節)
とある通りである。
キリスト者は、キリストにつくバプテスマを受け、キリストのからだ(教会)の一部とされて多くの働きに参加して
恵みを味わう。
 《種々の賜物を与えられ》 「賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。
奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。
働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。」(5~6節)
とあるように、一つのからだである教会の奉仕は多岐にわたり、働きも種々である。
だが、それらの種々の奉仕の務めを果たすための賜物を、兄弟姉妹に与えた方は聖霊の神おひとり
働きをなさるのも神おひとりである。
多様な賜物が、教会員各自に与えられている理由は、「皆の益となるため」(7節)にその賜物をもって仕え合い
補い合って一つとなるためである。
ひとりにすべての賜物が与えられているのではない。
一つの賜物を全員が共通に持つのでもない。それぞれが異なる賜物を与えられ、互いに補い合い助け合うことが必要で
他と調和して結束する場合にだけ、その奉仕を全うできる。
だから、各自が、賜物の優劣を競い、争うようなことがあってはならない。
「あなたがたも、御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会を成長させるために、それが豊かに与えられるように
求めなさい。」(Ⅰコリント14:12)とある通りだ。
 ≪互いに思いを一つにし≫ 「ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても
一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。」(12節)の「キリストもそれと同様」とは
キリスト者全員が「キリストのうちにある」(1:30)存在で、キリストのからだに属していることを指す。
パウロは、人のからだの諸器官の有機的なかかわり方を例に、教会での信徒各自の多様な役割とその一体性を教えている。
「神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。
もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。
しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。」(18~20節)と。
からだの各器官に優劣はなく、互いを必要としている。
だから「からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合」い、「一つの部分が苦しめば
すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶ」(25~26節)
ような、生きた交わりのある健康な教会の姿が、私たちに提示されている。その姿に近づくように努めよう。

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