
私は知っています。主が苦しむ者の訴えを支持し、貧しい者のためにさばきを行われることを。 詩編140:12
苦しむ者がすぐに解放され、暴虐を行う者が即座に厳罰に処され、貧者がすぐに富者とされるなら、一見すると正義が行われ、神は公平で正義の神を人々はほめたたえることになるのだろうか。もしそうであれば、人は、貧しさは富むための通過点と見做し、暴虐はライオンに手を出すような我が身を滅ぼしかねない損な行為と計算して控えるかもしれない。しかし、そこには利己的な計算が先行し、神への畏敬の念や信頼はない。不当な苦しみはなお続く。しかし、主はそれをご存じでしかるべき時に最善に答えてくださるに違いないと信じて、今を耐える。それが信仰というものだ。
神様。理不尽な悩みがなお続きますが、それをご承知のあなたに信頼し、私は自分の役目に努めます。
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