2022年7月31日 教会は平和の共同体 エペソ2:14~16

2022年7月31日 教会は平和の共同体 エペソ2:14~16

実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において
隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。
こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを
一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。
 エペソ2:14~16(1~22)

 《私たちの神は、平和の神》
 聖書は、「兄弟たち。・・・思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。
そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。」と、神を「平和の神」と紹介している
(Ⅱコリント13:11、ローマ15:33他)。
イザヤは、メシヤを「平和の君」(イザヤ9:6)と呼び、「平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え
救いを告げ知らせ・・・」(同52:6)と述べ、「平和」を「救い」と同義に扱っており、「救いの福音」は「平和の福音」
(エペソ6:15、使徒10:36)とも言われる。
キリストは、「暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く」(ルカ1:79)方で
彼を信じた者は「義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」(ローマ5:1)
つまりキリスト者は「神との和解、神との平和な関係」に置かれ、「平和の道」に導かれ、「平和の作り手」となる
役目を託されている。
イエスは、「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ5:9)と励ましておられる。
新約聖書で「平和」と「平安」と訳されている語は同じ「エイレーネー」で、「和睦し、平和、平安で幸いな状況」を意味する。
このギリシャ語は旧約聖書の「シャローム」(「神のみ旨にかなった人間の生にとり、精神的にも環境的にも望ましい状況で
平安、平和、繁栄の健康で安全な状態」を意味する言葉)に当たる。
「希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に
あふれさせてくださいますように。」(ロ-マ 15:13)との祈りの叶えられた状態である。
主は、その満たしを弟子たちに約束された(ヨハネ14:27)。私たちは、聖霊の助けを得て、神のみ心に従い
互いに理解し合い、尊敬と愛と平和を味わうことが可能となっている。

≪平和の教会を目指して≫ エペソ教会の異邦人とユダヤ人の教会員たちを、パウロは「キリスト・イエスにある」
(2:13)者たちと呼んで、「キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し・・・
この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって
神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」(2:14~16)と解説し、人間同士を隔てる偏見や好悪、競争心
優越感劣等感などが、十字架によって解消されたと宣言し、「建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮と」
なるのだと教会が平和の共同体となるように方向を示している(2:21)。
平和は、相手への敬意と相手への思いやり、赦し、理解、親切、寛容、配慮などの愛からの行為によって生み出される。
好ましく思う兄姉だけに限らず、「すべての人との平和を追い求め」(へブル12:14)て、「思いを一つにしなさい。
平和を保ちなさい」(Ⅱコリント13:11)との命令は、容易でない大きな課題だ。
だが、神の子にふさわしく、真摯に取り組むことで、自分の罪を知り、神の愛を教えられて成長する。
貧しい者、病める者、傷ついた者のを受け入れ、その友となることが求められている。
最初の教会は、「信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず
すべてを共有していた」(使徒4:32)。
「だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず」と、自己中心的な個人主義の姿はない。
「すべてを共有する」という「分かち合い」の姿がある。
過ぎ越しの祭りへ遠国からの巡礼者たちの中に、滞在を延ばしたために路銀の尽きた人々がいたので、支援の必要という
特殊な事情があったからと思われる。しかし、不足している者と分かち合う信仰は、現在の教会でも大事である。

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